センスのいい名前が思いつかない

フツーの人間が書くフツーのブログです。多分面白くないです。でも読めば何かを感じていただけるかもしれません。

青春を謳歌する者よ

青い、という言葉には、未熟という意味が含まれている。果実が熟する前の様子や新緑のすがすがしさを想起させる。

 

春、という言葉には、みずみずしい若さを感じさせる。四季のある世界ならではだろうが、春という言葉には誕生を思い起こさせ、これから実を結んでいく将来を期待させる。

 

それらが合わさった、青春という言葉である。澄み切った響き、字義のさわやかさが、誰もが経験してきた甘酸っぱい記憶を思い起こさせる。

青春時代に、何か間違ったことをしてしまった経験はないだろうか。いわゆる「若気の至り」というものだ。ちなみに「若気の至り」とは「子供のやることだから」と同じで、やってしまったほうが言うものではない。道を踏み外してしまった若者や子供に対して、大人が寛大な態度で赦すときに言うものである。

大人になったからこそ、若い人たちの過ちを赦すことができるのだろう。

 

近くの公園で、まれにタバコを吸っている中学生を見かける。正義感の強い私は大変憤るわけだが、一方でそういうものに興味を持ち、大人に見せかけたい年頃であることもわかる。注意すべきなのか、しかし面倒なことに巻き込まれたくないという気持ちもあり、結局、見て見ぬふりをする。

 

注意をするにしても、しかたがあるだろう。いきなりボコボコにするのは違う。かといってペコペコ下手に出るのも違うのだろう。注意の仕方がわからない。結局、見て見ぬふりをする。

 

私はタバコを吸ったことが無い。もし中学生の時にタバコを吸って大人に怒られた経験があれば「おじさんも子供のころは見つかってよく怒られてたな。気持ちはわかるし、いま怒ったりしないけども、ちゃんと火の用心をして、近くに子供がいたら吸わないようにな。それがマナーっていうものだよ。」みたいな注意の仕方ができるのかもしれない。でも残念ながら経験がない。結局、見て見ぬふりをする。

 

堂々とタバコを吸う彼らから、これから甘くみずみずしい実を結ぶ姿や、将来の希望に満ちあふれたすがすがしく健やかな姿は、残念ながら想像できなかった。

青春という、美しい響きとはかけ離れたものだった。誰しも通る大人への反抗や抵抗、大人になることへの渇望があるのだろうが、それを仲間とつるんでタバコを吸うということでしか表現できない未熟さが、かわいそうだった。

 

もし彼らが、喫煙所で、携帯灰皿を片手に、肩身の狭いサラリーマンのように小さくタバコをくゆらせていたら・・・。つい「いろいろ苦労しますね」なんて言ってしまいそうだ。

 

グループでタバコを吸い、唾を吐き散らかし、「俺たちは強いんだ」という自己顕示欲と威圧の塊になっている。そんな「俺たちに敵はない」といわんばかりの誇示は、酔って気が大きくなりあたりかまわずケンカを売る、しがないサラリーマンとよく似ている。

 

成熟していない形だけの大人も、いる。なのに大人になれば責任がついて回る。自分の子供がタバコを吸っていたら遠慮なく殴るけど、他人の子供だから犯罪者になって紙面を飾ってしまう。大人になんてなりたくなかったのに。結局、見て見ぬふりをする。